御料理 ”名古屋流”
「蓬左」とは「名古屋」の意
草薙神剣を御神体として祀ている熱田神宮を別名蓬莱宮と言い、かつて神宮から名古屋城までを
「蓬左」と呼んでおりました。
東海道において宮の渡しから桑名に渡る陸路の最終地点でもあり、古くから東と西の文化が交わる要衝として、保守的な食文化の世界では今も根強くその影響が残っています。
「名古屋より西に東なく、
名古屋より東に西はない」
蓬左茶寮では
その”名古屋らしさ”を表現しております。
千利休によって提案されたとされる茶懐石を基礎とする「日本料理」。その後、大きな流れは武家によって形式が整えられてきました。
「即興性」
によって来客をもたらすことは茶の湯においてもっとも重要なことであり、
形式だけにとらわれてない事が大切とされております。
山海の美味、珍味に恵まれた日本では、その料理法においては四季の違い、
強いては今日と明日の料理法の違いが、もっとも重視されております。
そして今なおその土地々々に残る気候風土の違いが食文化に於ける多様性をもたらしており、
多くがその地の名物とされております。
「すなわち地産地消」
地元産だから新鮮とか安いという事は今はありません。店主松本がこだわるのは、それが固有で美しいからという理由からです。
「その土地に行けばその土地の美味しさがある」
それが食文化であるからです。
「それらを現代的に」
いつまでも旧態然としていてはそれは美しくありません。そこに「守破離」の概念が必要となります。
温故知新の精神によって先人の知恵に新しい提案を加えた